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私の感覚(54)
災害派遣について、書いて行きます。
なにぶんに40年前の記憶なので、間違があるかもしれませんが、ご容赦下さい。
その頃から体に妙な感覚が出てきました。
出動した災害派遣は、1月の土曜日に起きた地震が始まりでした。
丁度、午前の課業が終わり、PX(自衛隊では、色々な売店をそう呼びます。)に行き、防衛庁共済組合の売店いた時に地震が起きました。
たいした揺れではなかったのですが、午後2時か3時に災害派遣命令が出ました。
外出していた人たちは、自衛隊の広報車の呼びかけで帰隊して来ました。
被害状況は、東伊豆の方で土砂崩れが起きている、などの情報が入ってきました。
取り敢えず、熱川の方の土砂崩れ現場に向かいました。
確か、生き埋めの被害現場だったと思います。
温泉旅館のところでしたが、現場の少し手前で待機となりました。
警察、消防が動いていたのを覚えています。
その現場では、救出が既に終わってしまたのか、出番はありませんでした。
駐屯地に戻り、次の出動に備えていました。
前回、書いた様に服と靴を履いた状態で、24時間の待機に入りました。
何日後か、修善寺温泉の方へ移動しました。
その当時は、有料道路でしたが、現在は、一般道になっているところです。
片側一車線の山の中の道路でした。
じわれ、段差、崖崩れ防止のネットが破れたりしていました。
施設隊の支援に入る形で、作業になりました。
有料道路の下の斜面が崩れ、下を流れている川が堰き止められようとしていました。
そこで、崖崩れ防止の土留めを作ることになりました。
有料道路上で土嚢を作り、それを一旦クレーンで有料道路下におろしました。
それを今度は、一列に並び、一個一個、手渡しで斜面を現場まで下す、作業でした。
体力的にきつい作業でした。
休憩はほとんどなく、短い時間でお昼ご飯を食べて、すぐ作業に入りました。
近くの体育館でご飯とかを作っています。
その御飯が持ってくるときは、暖かいのですが、飯盒に入れて、いざ食べようとすると風に吹かれて、冷たくなってしまい。
味噌汁は、ただの冷たい塩水の様でした。
食べないと動けないので、冷たいご飯に塩水をかけて、お腹に流し込む様な感じの食事でした。
日没で作業を終え。
今日の宿泊場所は、前記した体育館です。
近くの旅館に行って、入浴をしました。
その時、フロントにいた旅館の主人の様な人が、早く入浴して帰れと言う様な表情をしていたのを覚えています。
上記の人にとっては、迷惑なのかなと思いました。
現在とは、自衛隊に対する世間の見方に雲泥の差を感じる出来事でした。
夜は、毛布を一枚敷いて、自衛隊の足先に靴が出せるジッパー付の寝袋で寝ました。
あとは、災害派遣、ご苦労様と言う感じで、白いタオルとセブンスターがひと箱入ったビニール袋の配給がありました。
翌日も同じ作業でした。
作業後は、そのまま、夜道を帰隊の途について、災害派遣は終了となりました。
今回は、以上です。
また、書かせて頂きます。
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