現在から未来を見る
地震予知や世の中の動きを予想しています。
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初の記事です。
初めての記事を書きます。
タイトルの由来は、之から書くことに証拠を見せられる物がなく、私が経験してきた事を書かせて頂くので、この様なタイトルにしました。
このブログを始めるきっかけは、先天的なのか、保育園に通っている時に遭遇した未知の存在から与えられたのか、判断はつきませんが、その感覚と言うか能力によって得られた地震予知に関して、書いていきます。
それと、半世紀を超えて今も続く、未知の存在と不思議な出来事について、書いていきます。
どれだけの人が見ていただけるか分かりませんが、読んでいただければ幸いです。
最初に、自分の感覚について、書かせて頂きます。
この感覚がでてきたのは、約40年前頃だと思います。当時、体の変調だと思い、病院で色々(MRIや脳波、心電図など)な検査を受けてきました。
いつも、異常なしで、困っていました。
当時、伊豆半島の地震活動がとても活発な時期で、陸上自衛隊の駒門駐屯地に勤務しておりました。
そののち、富士学校のある須走駐屯地に移り、隣接している自衛隊富士地区病院で始めて検査を受けました。
まさか、地震に自分の体が反応しているとは、まったく夢にも思いませんでした。
その当時の事を思い返すと東京の実家に帰ってくると、体の変調は全然感じなく、精神的な物かと思っていました。
それから、時は流れ、体の受ける感覚で震源地とマグニチュードが凡そ分かる様になってきました。
次に、2011年の大震災に関してかきます。
2003年頃から、地面の沈み込が体に分かる様になり、地面が小さく落ちていく感じが、段々と短い感覚になり、2011年の地震の起きる4週間前と約1時間前に決定的な地面の変動を感じました。
文章で説明しきれないので、割愛します。
この記事を読んでいただいた方のご要望が有れば、ご理解いただけるか分かりませんが、何とか書きたいと思います。
如何しようかと考えたのですが、当時ブログなどは書いておりませんでしたので、A四判の紙にワードで以下の内容で、印刷した物を総武線のいくつかのターミナルに2月の最終土曜日にソット置いて来ました。
「3月の9~11日の午後2時50分前後にとてつもなく大きな地震が来るので、注意してください。公共交通機関は、恐らく、動かないと思います。」
以上の短い文章の物です。
全部で20部です。
このブログを読まれた方の中に、これを読まれた方はいますでしょうか。
地震の大きさは、予想としては、M8の後半で、確実に公共交通機関は、全て止まると思っていました。
そして、9日に地震が有りましたが、こんな物ではないはづだと考えました。
その時点では、今回は、間違えたのかと思いました。
上記の決定的体感でいったん、地面の沈み込の感じは無くなり。
地震後は、別の感覚が9月位まで、波状的に来ました。
之は、今までの経験から、余震の動きを体が捉えたのだと思います。
それから、2014年4月現在、地面の沈み込は、捉えていません。
この続きは、次回、書かせて頂きます。
タイトルの由来は、之から書くことに証拠を見せられる物がなく、私が経験してきた事を書かせて頂くので、この様なタイトルにしました。
このブログを始めるきっかけは、先天的なのか、保育園に通っている時に遭遇した未知の存在から与えられたのか、判断はつきませんが、その感覚と言うか能力によって得られた地震予知に関して、書いていきます。
それと、半世紀を超えて今も続く、未知の存在と不思議な出来事について、書いていきます。
どれだけの人が見ていただけるか分かりませんが、読んでいただければ幸いです。
最初に、自分の感覚について、書かせて頂きます。
この感覚がでてきたのは、約40年前頃だと思います。当時、体の変調だと思い、病院で色々(MRIや脳波、心電図など)な検査を受けてきました。
いつも、異常なしで、困っていました。
当時、伊豆半島の地震活動がとても活発な時期で、陸上自衛隊の駒門駐屯地に勤務しておりました。
そののち、富士学校のある須走駐屯地に移り、隣接している自衛隊富士地区病院で始めて検査を受けました。
まさか、地震に自分の体が反応しているとは、まったく夢にも思いませんでした。
その当時の事を思い返すと東京の実家に帰ってくると、体の変調は全然感じなく、精神的な物かと思っていました。
それから、時は流れ、体の受ける感覚で震源地とマグニチュードが凡そ分かる様になってきました。
次に、2011年の大震災に関してかきます。
2003年頃から、地面の沈み込が体に分かる様になり、地面が小さく落ちていく感じが、段々と短い感覚になり、2011年の地震の起きる4週間前と約1時間前に決定的な地面の変動を感じました。
文章で説明しきれないので、割愛します。
この記事を読んでいただいた方のご要望が有れば、ご理解いただけるか分かりませんが、何とか書きたいと思います。
如何しようかと考えたのですが、当時ブログなどは書いておりませんでしたので、A四判の紙にワードで以下の内容で、印刷した物を総武線のいくつかのターミナルに2月の最終土曜日にソット置いて来ました。
「3月の9~11日の午後2時50分前後にとてつもなく大きな地震が来るので、注意してください。公共交通機関は、恐らく、動かないと思います。」
以上の短い文章の物です。
全部で20部です。
このブログを読まれた方の中に、これを読まれた方はいますでしょうか。
地震の大きさは、予想としては、M8の後半で、確実に公共交通機関は、全て止まると思っていました。
そして、9日に地震が有りましたが、こんな物ではないはづだと考えました。
その時点では、今回は、間違えたのかと思いました。
上記の決定的体感でいったん、地面の沈み込の感じは無くなり。
地震後は、別の感覚が9月位まで、波状的に来ました。
之は、今までの経験から、余震の動きを体が捉えたのだと思います。
それから、2014年4月現在、地面の沈み込は、捉えていません。
この続きは、次回、書かせて頂きます。
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