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地震予知や世の中の動きを予想しています。
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私の感覚と地震(1)
今回は、最初に書いた私の感覚について書いて行きます。
当初は、病気ではないかと思い、検査などを受けてきました。
段々と、体に受ける衝撃と地面から伝わるなんとも言えない感覚に、悩まされてきました。
感度が上がるかの様に。
ある時、体にいつもの感覚を覚えました。
そして、翌日のNHKのニュースで、南米?で少し大きな地震が有ったと報道されました。
前日の感覚を感じた時間とほぼ同時刻でした。
それから、感覚からくる体感から、マグニチュードなどを予想するとほぼそのとうりの規模で、翌日以降のニュースで知るようになりました。
偶然の一致だろうと、思っていました。
感覚を覚えるようにしていると、必ず、中南米、南米、南太平洋、東南アジア、中近東などで起きる地震の事が、分るようになりました。
体に受ける衝撃の様な体感で、一番大きかったのは、やはりインドネシアです。
M8の後半の衝撃の様な体感は、ことさら“きつい”です。
表現しずらいのですが、体が一瞬動かなくなります。
頭の上から体の中に、何かが入ってくる感じです。
外国と日本国内では、同じ様な感覚を受ける時、少し体感が違います。
日本国内の地震を捉えた時は、体に入ってくる感じは同じですが、足の先から地面に抜けていきます
それで、日本国内の地震だと分かります。
タイミングが合えば、信じられないと思いますが、日本から見て、地球の裏側の地震でも、捉えてきました。
直近の出来事としては、チリのM8の地震は、前日の14時19分に衝撃を体感いたしました。
其の時の感覚では、場所は、南米のチリ、ペルー辺りで、大きさは、M8前後と考えました。
次回は、日本国内の地震について、書いて行きたいと思います。
当初は、病気ではないかと思い、検査などを受けてきました。
段々と、体に受ける衝撃と地面から伝わるなんとも言えない感覚に、悩まされてきました。
感度が上がるかの様に。
ある時、体にいつもの感覚を覚えました。
そして、翌日のNHKのニュースで、南米?で少し大きな地震が有ったと報道されました。
前日の感覚を感じた時間とほぼ同時刻でした。
それから、感覚からくる体感から、マグニチュードなどを予想するとほぼそのとうりの規模で、翌日以降のニュースで知るようになりました。
偶然の一致だろうと、思っていました。
感覚を覚えるようにしていると、必ず、中南米、南米、南太平洋、東南アジア、中近東などで起きる地震の事が、分るようになりました。
体に受ける衝撃の様な体感で、一番大きかったのは、やはりインドネシアです。
M8の後半の衝撃の様な体感は、ことさら“きつい”です。
表現しずらいのですが、体が一瞬動かなくなります。
頭の上から体の中に、何かが入ってくる感じです。
外国と日本国内では、同じ様な感覚を受ける時、少し体感が違います。
日本国内の地震を捉えた時は、体に入ってくる感じは同じですが、足の先から地面に抜けていきます
それで、日本国内の地震だと分かります。
タイミングが合えば、信じられないと思いますが、日本から見て、地球の裏側の地震でも、捉えてきました。
直近の出来事としては、チリのM8の地震は、前日の14時19分に衝撃を体感いたしました。
其の時の感覚では、場所は、南米のチリ、ペルー辺りで、大きさは、M8前後と考えました。
次回は、日本国内の地震について、書いて行きたいと思います。
未知の存在と不思議な出来事(6)
前回のつづきを書きます。
次は、去年の10月上旬です。
夜の12時前後の時間だと思います。
寝ようと思い、カーテンを閉めに行きました。
何気なく外を見ると、住んでいる4階建ての建物の直ぐ上空を音も無く、北から南の方向へ、飛んでいく物が目に入りました。
前回書いた物とは違う形をしています。
その物の底面を見上げる形で見たので、上部がどうなっているかは、分りません。
昼白色の丸い輪の形をしていました。
大きさは、直径2~3メートル位でしょうか。
近くには、国道14号線が私の部屋の南側に有ります。
2002年から、場所は変わりますが、同じ東京湾岸の市に住んでいます。
前は、北海道に住んでおりました。
其の時は見なかったのですが、東京に引っ越して来てから仕事から帰宅するころになると、南の低い位置に光る物体が、見える様になりました。
星にしては、随分と低い位置に見えるなと思っていました。
あの星は、何っていう星なのか、詳しい人に一度聞きたいと、考えていました。
まるで、引っ越した場所についてくる感じで、その物が見えます。
それが突然、今年の1月4日に見えなくなりました。
確かに、見えていたのに、急に見えなくなった感じです。
ところが、1月10日に帰宅すると、いつもの時間にその物が見えました。
処が、いつもは星の様に見えましたが、今回は、違っていました。
その物は、静止して、光の点滅を繰り返している状態です。
最初は、よく飛行機が飛んでいる場所なので、飛行機かと思いました。
其の点滅を繰り返す物の右側を、飛行機のオレンジと白色の航行灯を点滅させながら移動していきます。
しかし、その物は、一向に移動しません。
よく見ると、点滅を繰り返す物を中心に、上下、左右、斜め上下左右に白い点の様な物が等間隔で並んでいます。
整然と格子状に並んでいます。
其の日だけの光景でした。
翌日からは、まったく見えなくなりました。
それから、前に書いた、雲の中をゆっくりと進むドーム状の白い物体の光景を上記の後見たわけです。
いったん、未知の存在ついて、終わり。
次回は、初めての記事に書いた、わたしの感覚について書いて行きたいと思います。
次は、去年の10月上旬です。
夜の12時前後の時間だと思います。
寝ようと思い、カーテンを閉めに行きました。
何気なく外を見ると、住んでいる4階建ての建物の直ぐ上空を音も無く、北から南の方向へ、飛んでいく物が目に入りました。
前回書いた物とは違う形をしています。
その物の底面を見上げる形で見たので、上部がどうなっているかは、分りません。
昼白色の丸い輪の形をしていました。
大きさは、直径2~3メートル位でしょうか。
近くには、国道14号線が私の部屋の南側に有ります。
2002年から、場所は変わりますが、同じ東京湾岸の市に住んでいます。
前は、北海道に住んでおりました。
其の時は見なかったのですが、東京に引っ越して来てから仕事から帰宅するころになると、南の低い位置に光る物体が、見える様になりました。
星にしては、随分と低い位置に見えるなと思っていました。
あの星は、何っていう星なのか、詳しい人に一度聞きたいと、考えていました。
まるで、引っ越した場所についてくる感じで、その物が見えます。
それが突然、今年の1月4日に見えなくなりました。
確かに、見えていたのに、急に見えなくなった感じです。
ところが、1月10日に帰宅すると、いつもの時間にその物が見えました。
処が、いつもは星の様に見えましたが、今回は、違っていました。
その物は、静止して、光の点滅を繰り返している状態です。
最初は、よく飛行機が飛んでいる場所なので、飛行機かと思いました。
其の点滅を繰り返す物の右側を、飛行機のオレンジと白色の航行灯を点滅させながら移動していきます。
しかし、その物は、一向に移動しません。
よく見ると、点滅を繰り返す物を中心に、上下、左右、斜め上下左右に白い点の様な物が等間隔で並んでいます。
整然と格子状に並んでいます。
其の日だけの光景でした。
翌日からは、まったく見えなくなりました。
それから、前に書いた、雲の中をゆっくりと進むドーム状の白い物体の光景を上記の後見たわけです。
いったん、未知の存在ついて、終わり。
次回は、初めての記事に書いた、わたしの感覚について書いて行きたいと思います。
未知の存在と不思議な体験(5)
今回は、空の不思議な出来事に関して、書かせて頂きます。
其の当時は、不思議だなーと感じる位でした。
一番、最初は、2008年の9月頃の少し涼しくなってきた平日の昼下がりです。
時間は、午後三時前後で、場所は、東京の千代田区の晴海通りと日比谷通りが交差するところです。
グーグルで検索してもらえば直ぐに分かります。
其の日は、日比谷図書館に行き、午後二時ごろ図書館を出ました。
そして、日比谷公園内の心池の処にある石垣の上にあるベンチで、遅い昼食をとっていました。
其の場所は、周りより、4,5メートル高くなっている処です。
昼食をとり終わり、歩いて日比谷通りの方向に降りて行くと、ペニンシュラホテルの上に、とても奇妙な物が浮かんでいました。
最初は、近くに日比谷映画街が有るので、映画の中に出てくる何かを宣伝目的で、ホテルの上にアドバルーンの様に上げているのだと思いました。
そう思ったのは、私の斜め前に、女性が歩いておりましたが、見ている様子が見られません。
また、交差点の日比谷公園側角にある交番の警察官もみておりませんでした。
それで、映画の宣伝などと思った次第です。
そして、私はそれに向かって、歩いて行くと、どれぐらいの距離でしょうか。
凡そ、100メートル弱位の距離に近づいて行くと、水平移動を始めました。
有楽町、銀座方向です。
「アドバルーンじゃないの」と、思わず口から出てしまいました。
兎に角、ホテルのすぐ上の高さで移動して行きました。
今までに見たことも無いものです。
すぐそばには、日本の中枢組織のある霞が関、警視庁、そして皇居などが有ります。
移動方向を西に目を向けると、皇居です。
まさか、皇居の上空を飛行して、自分が見た時はホテルの上空に静止していたのでしょうか。
今考えても、よくわかりません。
絶対に誰かが写真や動画を撮っていると思い、YouTubeなどを探しましたが、何処にもありませんでした。
当時、マスメディアやネットなどでも、一切、取り上げられませんでした。
他の人には見えないのだろうか。
飛行船などと似ても似つかない物体を見間違えるはずが有りません。
その物体の周りの空間が、ちょっとなんていうか、少し離れた空間と明るさが違います。
何ていうか、空間に、その物体とその周辺を別に張り付けた様な印象を受けます。
立ち止り、見上げる人は、皆無でした。
去年の2月から、地球外生命体等に関する情報を書物、ネットなどで収集をしてきました。
その中で、ネットに公開されているディスクロージャープロジェクトなどを読みました。
日本語訳されたその中に、アメリカの戦域軍の一つである大西洋軍に所属していた方の証言中に、酷似している物が出てきます。
私が見た物は、もしかして、それと同じものだろうかと、考えるようになりました。
其の物にいて、描写すると。
前後がすとんと切れていて、飛行機などの様に、とがっている感じは有りません。
翼などは一切無く。
形は、筒状です。
まるで、空に、細長いコンテナが浮かんでいる様に見えます。
大きさは、水平方向がほぼホテルと同じぐらいです。
垂直方向の大きさは、ホテルの一階位です。
表面に窓らしきものは無く、くすんだ銀色をしておりました。
それから、2ヶ月後の11月に、今度は、東京のスカイツリーの側のJR錦糸町駅に停車中の電車の中から見ました。
当初は、雲かな~と思いました。
よく見ると、雲ひとつない夕焼け空に、不自然な形の物が浮かんでいます。
時間は、午後4時30頃だと思います。
夕日を反射して、オレンジ色に輝いていました。
これも去年、色々な情報収集した中に、似た様な物がありました。
イギリスの空軍基地で起きた、レンデルシャムの森事件の中に出てきます。
それは、三角形の物体です。
その物の底面を下から見上げている感じです。
わたしの位置から凡そ北の方角の斜め上空20~30メートルぐらいの処に、
一辺は2~3メートルぐらいでしょうか。
これも、見上げている人は、見当たりませんでした。
続きは、次回に、書かせて頂きます。
其の当時は、不思議だなーと感じる位でした。
一番、最初は、2008年の9月頃の少し涼しくなってきた平日の昼下がりです。
時間は、午後三時前後で、場所は、東京の千代田区の晴海通りと日比谷通りが交差するところです。
グーグルで検索してもらえば直ぐに分かります。
其の日は、日比谷図書館に行き、午後二時ごろ図書館を出ました。
そして、日比谷公園内の心池の処にある石垣の上にあるベンチで、遅い昼食をとっていました。
其の場所は、周りより、4,5メートル高くなっている処です。
昼食をとり終わり、歩いて日比谷通りの方向に降りて行くと、ペニンシュラホテルの上に、とても奇妙な物が浮かんでいました。
最初は、近くに日比谷映画街が有るので、映画の中に出てくる何かを宣伝目的で、ホテルの上にアドバルーンの様に上げているのだと思いました。
そう思ったのは、私の斜め前に、女性が歩いておりましたが、見ている様子が見られません。
また、交差点の日比谷公園側角にある交番の警察官もみておりませんでした。
それで、映画の宣伝などと思った次第です。
そして、私はそれに向かって、歩いて行くと、どれぐらいの距離でしょうか。
凡そ、100メートル弱位の距離に近づいて行くと、水平移動を始めました。
有楽町、銀座方向です。
「アドバルーンじゃないの」と、思わず口から出てしまいました。
兎に角、ホテルのすぐ上の高さで移動して行きました。
今までに見たことも無いものです。
すぐそばには、日本の中枢組織のある霞が関、警視庁、そして皇居などが有ります。
移動方向を西に目を向けると、皇居です。
まさか、皇居の上空を飛行して、自分が見た時はホテルの上空に静止していたのでしょうか。
今考えても、よくわかりません。
絶対に誰かが写真や動画を撮っていると思い、YouTubeなどを探しましたが、何処にもありませんでした。
当時、マスメディアやネットなどでも、一切、取り上げられませんでした。
他の人には見えないのだろうか。
飛行船などと似ても似つかない物体を見間違えるはずが有りません。
その物体の周りの空間が、ちょっとなんていうか、少し離れた空間と明るさが違います。
何ていうか、空間に、その物体とその周辺を別に張り付けた様な印象を受けます。
立ち止り、見上げる人は、皆無でした。
去年の2月から、地球外生命体等に関する情報を書物、ネットなどで収集をしてきました。
その中で、ネットに公開されているディスクロージャープロジェクトなどを読みました。
日本語訳されたその中に、アメリカの戦域軍の一つである大西洋軍に所属していた方の証言中に、酷似している物が出てきます。
私が見た物は、もしかして、それと同じものだろうかと、考えるようになりました。
其の物にいて、描写すると。
前後がすとんと切れていて、飛行機などの様に、とがっている感じは有りません。
翼などは一切無く。
形は、筒状です。
まるで、空に、細長いコンテナが浮かんでいる様に見えます。
大きさは、水平方向がほぼホテルと同じぐらいです。
垂直方向の大きさは、ホテルの一階位です。
表面に窓らしきものは無く、くすんだ銀色をしておりました。
それから、2ヶ月後の11月に、今度は、東京のスカイツリーの側のJR錦糸町駅に停車中の電車の中から見ました。
当初は、雲かな~と思いました。
よく見ると、雲ひとつない夕焼け空に、不自然な形の物が浮かんでいます。
時間は、午後4時30頃だと思います。
夕日を反射して、オレンジ色に輝いていました。
これも去年、色々な情報収集した中に、似た様な物がありました。
イギリスの空軍基地で起きた、レンデルシャムの森事件の中に出てきます。
それは、三角形の物体です。
その物の底面を下から見上げている感じです。
わたしの位置から凡そ北の方角の斜め上空20~30メートルぐらいの処に、
一辺は2~3メートルぐらいでしょうか。
これも、見上げている人は、見当たりませんでした。
続きは、次回に、書かせて頂きます。
未知の存在と不思議な体験(4)
もし偶然、このブログを見られた方がおられましたら、質問なり、ご要望なりを頂けたら幸いです。
今回は、2012年2月に起きた出来事と同じ様な感じで体験したことを書いていきます。
全部で6回、2014年4月現在、体験したことを前回書きました。
2回目以降を書いて行きます。
2回目は、6月だと思うのですが、1回目と同じく、朝、瞬きをした瞬間に、白黒の昔のテレビを見る様な物が出てきました。
何かが居るのが分かるのですが、映像が昔の白黒テレビの様に歪んでみえます。まるで、私の視覚を何かで遮られている様な感じです。
長く見てもしょうがないので、目を開け、出かけました。
3回目は、7月の梅雨明けごろでしょうか、夜、帰ってきて、蒲団の上に座っている時、これまでのタイミングと同じ様に出てきました。
薄暗い空を見ている感じで、その内、真正面、上下、左右にもの凄い勢いで、雲が通り過ぎていきます。まるで、雲の中を飛んでいる様な感じです。視界には、雲と空しか見えません。
そして、段々と薄暗い空から、明るい青空に視界が変化していきました。
その内、もの凄いスピードで降下している様に感じました。
全体的に映画などとは比べ物にならない、圧倒的臨場感です。
何か、飛行物体に搭乗して見なければ、恐らく、体験できないと考える次第です。
4回目は、2回目に見た物のゆがみのないものでした。
それは、前回書きました大きい方と書いた者の上半身でした。
髪の毛の無い、体に比して、異様に大きい頭、暗い穴の様な眼、瞳は確認できません。
スリムな体つき、細い腕、体にフィットしたコスチュームなどです。
2,3メートル先に、立っている感じです。
5回目は、今年の一月の朝、いつものタイミングで、出てきました。
それは、晴れた日の薄い雲の中を半円級のドーム状の白い物体が、ゆっくりと移動しているところを、ズームアップしてみているかんじです。
まったく、見おぼえない物です。
6回目は、何か、見たことも無い様なデザインの建築物群を俯瞰して、見ている感じです。
現在の処、以上です。
次回は、UFOに関して、書いてみたいと思います。
今回は、2012年2月に起きた出来事と同じ様な感じで体験したことを書いていきます。
全部で6回、2014年4月現在、体験したことを前回書きました。
2回目以降を書いて行きます。
2回目は、6月だと思うのですが、1回目と同じく、朝、瞬きをした瞬間に、白黒の昔のテレビを見る様な物が出てきました。
何かが居るのが分かるのですが、映像が昔の白黒テレビの様に歪んでみえます。まるで、私の視覚を何かで遮られている様な感じです。
長く見てもしょうがないので、目を開け、出かけました。
3回目は、7月の梅雨明けごろでしょうか、夜、帰ってきて、蒲団の上に座っている時、これまでのタイミングと同じ様に出てきました。
薄暗い空を見ている感じで、その内、真正面、上下、左右にもの凄い勢いで、雲が通り過ぎていきます。まるで、雲の中を飛んでいる様な感じです。視界には、雲と空しか見えません。
そして、段々と薄暗い空から、明るい青空に視界が変化していきました。
その内、もの凄いスピードで降下している様に感じました。
全体的に映画などとは比べ物にならない、圧倒的臨場感です。
何か、飛行物体に搭乗して見なければ、恐らく、体験できないと考える次第です。
4回目は、2回目に見た物のゆがみのないものでした。
それは、前回書きました大きい方と書いた者の上半身でした。
髪の毛の無い、体に比して、異様に大きい頭、暗い穴の様な眼、瞳は確認できません。
スリムな体つき、細い腕、体にフィットしたコスチュームなどです。
2,3メートル先に、立っている感じです。
5回目は、今年の一月の朝、いつものタイミングで、出てきました。
それは、晴れた日の薄い雲の中を半円級のドーム状の白い物体が、ゆっくりと移動しているところを、ズームアップしてみているかんじです。
まったく、見おぼえない物です。
6回目は、何か、見たことも無い様なデザインの建築物群を俯瞰して、見ている感じです。
現在の処、以上です。
次回は、UFOに関して、書いてみたいと思います。
未知の存在と不思議な体験(3)
きょうは、2012年6月24日の早朝の出来事に関して、書きます。
いつも、眠りが浅いので、夜が明けるちょっと前でしょうか。
私の寝ている右側から左側へ動く物が有りました。
今のは何だと思い、じっとしていると、寝ている頭の左側から得体のしれない物が、急にでてきました。
寝ぼけているのかと思いましたが、薄目でみると何かが、顔の上10センチも無い距離にいます。
吃驚してしまい、之は何なんだと思いながら、じっとしていました。
あまりにも近いので、眼お開ける勇気が有りませんでした。
見ない方が良いのではないかと、咄嗟に思いました。
其の時は、果たして私は、自室にいるのか、それともほかのどこかにいるのか、区別がつきませんでした。
其の場所は、今考えると、自室ではなく、どこか違う場所にいたのではないかと、思います。
部屋の中は、自室の明るさではないと、思っています。
何処なのか、見当はつきません。
其の後、その物が何をしたのか、記憶が有りません。
なぜ、その日付を正確に覚えているかといいますと、翌日に、もしかしたら何か録音できるのではないかと思い、ICレコーダーをセットしたので、その日付から、この様に書いています。
前にも、書きましたが、2013年2月まで、地球外生命体と結びつきませんでした。
その物は、昭和30年代半ばごろに遭遇した物に非常に似ていましたが、なんだかよくわかりませんでした。
部屋の片隅の暗がりに立っているのは、よく記憶として有るのですが、気のせいだと思い、考えない様にしてきました。
それが、実体として現れたので、夢、幻ではないと、初めて認識しました。
それと、もう一つ別の存在が有ります。大きさは、今まで紹介した物の約倍ぐらいの大きさで、160センチ超位です。
小さいのは、体に比して、異様に頭と目が大きいのが特徴で、もの凄く華奢です。
大きい方は、同じく頭が大きいのですが、目は二つ暗い穴があいている感じです。
小さいのは、体全体が、白く、暗闇に浮かぶ感じです。
大きい方は、タートルネックの体にフィットした長袖のシャツを身にまとっています。
両方とも、髪の毛とかは見当たりません。
時々、コンビで部屋の中にあらわれる記憶が有るのですが、それが自室なのかよくわかりません。
後で書きますが、大きいほうの姿を分かるようになったの、2013年になって、前に書いた2013年の2月の出来事と同じ様な感じで、見えました。
突然目の中に、映像が現れる現象は、去年の2月から2014年4月まで、6回ありました。
次回に続きを書かせていただきます。
いつも、眠りが浅いので、夜が明けるちょっと前でしょうか。
私の寝ている右側から左側へ動く物が有りました。
今のは何だと思い、じっとしていると、寝ている頭の左側から得体のしれない物が、急にでてきました。
寝ぼけているのかと思いましたが、薄目でみると何かが、顔の上10センチも無い距離にいます。
吃驚してしまい、之は何なんだと思いながら、じっとしていました。
あまりにも近いので、眼お開ける勇気が有りませんでした。
見ない方が良いのではないかと、咄嗟に思いました。
其の時は、果たして私は、自室にいるのか、それともほかのどこかにいるのか、区別がつきませんでした。
其の場所は、今考えると、自室ではなく、どこか違う場所にいたのではないかと、思います。
部屋の中は、自室の明るさではないと、思っています。
何処なのか、見当はつきません。
其の後、その物が何をしたのか、記憶が有りません。
なぜ、その日付を正確に覚えているかといいますと、翌日に、もしかしたら何か録音できるのではないかと思い、ICレコーダーをセットしたので、その日付から、この様に書いています。
前にも、書きましたが、2013年2月まで、地球外生命体と結びつきませんでした。
その物は、昭和30年代半ばごろに遭遇した物に非常に似ていましたが、なんだかよくわかりませんでした。
部屋の片隅の暗がりに立っているのは、よく記憶として有るのですが、気のせいだと思い、考えない様にしてきました。
それが、実体として現れたので、夢、幻ではないと、初めて認識しました。
それと、もう一つ別の存在が有ります。大きさは、今まで紹介した物の約倍ぐらいの大きさで、160センチ超位です。
小さいのは、体に比して、異様に頭と目が大きいのが特徴で、もの凄く華奢です。
大きい方は、同じく頭が大きいのですが、目は二つ暗い穴があいている感じです。
小さいのは、体全体が、白く、暗闇に浮かぶ感じです。
大きい方は、タートルネックの体にフィットした長袖のシャツを身にまとっています。
両方とも、髪の毛とかは見当たりません。
時々、コンビで部屋の中にあらわれる記憶が有るのですが、それが自室なのかよくわかりません。
後で書きますが、大きいほうの姿を分かるようになったの、2013年になって、前に書いた2013年の2月の出来事と同じ様な感じで、見えました。
突然目の中に、映像が現れる現象は、去年の2月から2014年4月まで、6回ありました。
次回に続きを書かせていただきます。
未知の存在と不思議な体験2
前回に続いて、未知の存在と不思議な体験を書きます。
前回書いた、不思議な出来事の後、今まで体験した不思議な出来事は、全て繋がっているのではないかと考える様になりました。
記憶では、保育園児の頃の遭遇が、最初だと思います。
それから、東京オリンピックの前後だと思いますが、テレビで早朝の東京の空に謎の飛行物体という内容で、放送が有りました。
その当時は、UFOと言われていた記憶は有りません。
母に、「お母ちゃん、見た?」と聞きました。
母「見たよ、何か飛んでいたね」と答えました。
その時、初めて、父も前に会社にいる時、不思議な飛行物体、光の球の様な物を見たと母から聞きました。
それからは、20年以上、不思議な体験は、記憶にありません。
そして突然、不思議な体験を度々する様になるのが、平成元年の9月のあるでき事を境に起きる様になりました。
その出来事とは。
当時、札幌に住んでおりました。
9月に用事が有り、東京に行きました。
ホテルにチェックインして、眠りついてどの位たったでしょうか。
私の周りで歩く音がします。
床は、下駄で歩いても響かない様な絨毯が敷いてあり、変だなと目をつぶっておりました。
その音が、私の方へ段々と近付いて来ます。
いったい、何事と思いましたが、目を開けずに、寝ておりました。
そうすると、足のつま先から頭のてっぺんに向かって、波の様な物が、体の中を通り抜けていきました。
直ぐに目を開け、「今のは、なんだ」と思わず叫んでしまいました。
それから、2014年4月現在まで、不思議な体験を数え切れないほどする様になりました。
それからは、2013年の2月まで、すべて夢の中の出来事だと思っていた事の数々を書いていきます。
一番多く記憶にある体験としては、白色の何もない室内とスロープを床から20~30センチ位、浮いて移動する体感です。
体験数は、四桁にのぼるのでは、ないかと思います。
すーと、浮かび、着地するときも、ゆっくりと止まる感じです。
体験していないと、どうにも説明が難しいです。
それから、あれを現実的に見たのかと思うと、なんとも言えない光景を見ました。
それは、人間だと思うのですが、あばら骨の下で切断され、切断された
と思われる場所にどれぐらいでしょうか。
管が、何本も繋がれています。
これは、一体、なんだろうか。
まるで、人間を使った生体実験を見ているのだろうか。
上記の体験は、平成元年の不思議な体感の後、早い時期に見た記憶が有ります。
その生体は、浅黒く、目が大きく、坊主頭で、何かしゃべっている様に見えたのですが、
よくわかりませんでした。
今考えますと、未知の存在を友好的な存在と考える方もおりますが、果たしてそうなのだろうか。
私自身に関しては、平成元年から、それまでにはなっかたのですが、早朝に足の局所的な痛みで目を覚ます様になりました。
度々続くので、診察を受けましたが、レントゲンや血液検査などをしても、これといった異常はありませんでした。
診断では、軽い神経痛で気にすることは、ないと言われました。
先は、長いので、今回は、これにて終わります。
前回書いた、不思議な出来事の後、今まで体験した不思議な出来事は、全て繋がっているのではないかと考える様になりました。
記憶では、保育園児の頃の遭遇が、最初だと思います。
それから、東京オリンピックの前後だと思いますが、テレビで早朝の東京の空に謎の飛行物体という内容で、放送が有りました。
その当時は、UFOと言われていた記憶は有りません。
母に、「お母ちゃん、見た?」と聞きました。
母「見たよ、何か飛んでいたね」と答えました。
その時、初めて、父も前に会社にいる時、不思議な飛行物体、光の球の様な物を見たと母から聞きました。
それからは、20年以上、不思議な体験は、記憶にありません。
そして突然、不思議な体験を度々する様になるのが、平成元年の9月のあるでき事を境に起きる様になりました。
その出来事とは。
当時、札幌に住んでおりました。
9月に用事が有り、東京に行きました。
ホテルにチェックインして、眠りついてどの位たったでしょうか。
私の周りで歩く音がします。
床は、下駄で歩いても響かない様な絨毯が敷いてあり、変だなと目をつぶっておりました。
その音が、私の方へ段々と近付いて来ます。
いったい、何事と思いましたが、目を開けずに、寝ておりました。
そうすると、足のつま先から頭のてっぺんに向かって、波の様な物が、体の中を通り抜けていきました。
直ぐに目を開け、「今のは、なんだ」と思わず叫んでしまいました。
それから、2014年4月現在まで、不思議な体験を数え切れないほどする様になりました。
それからは、2013年の2月まで、すべて夢の中の出来事だと思っていた事の数々を書いていきます。
一番多く記憶にある体験としては、白色の何もない室内とスロープを床から20~30センチ位、浮いて移動する体感です。
体験数は、四桁にのぼるのでは、ないかと思います。
すーと、浮かび、着地するときも、ゆっくりと止まる感じです。
体験していないと、どうにも説明が難しいです。
それから、あれを現実的に見たのかと思うと、なんとも言えない光景を見ました。
それは、人間だと思うのですが、あばら骨の下で切断され、切断された
と思われる場所にどれぐらいでしょうか。
管が、何本も繋がれています。
これは、一体、なんだろうか。
まるで、人間を使った生体実験を見ているのだろうか。
上記の体験は、平成元年の不思議な体感の後、早い時期に見た記憶が有ります。
その生体は、浅黒く、目が大きく、坊主頭で、何かしゃべっている様に見えたのですが、
よくわかりませんでした。
今考えますと、未知の存在を友好的な存在と考える方もおりますが、果たしてそうなのだろうか。
私自身に関しては、平成元年から、それまでにはなっかたのですが、早朝に足の局所的な痛みで目を覚ます様になりました。
度々続くので、診察を受けましたが、レントゲンや血液検査などをしても、これといった異常はありませんでした。
診断では、軽い神経痛で気にすることは、ないと言われました。
先は、長いので、今回は、これにて終わります。
未知の存在と不思議な体験(1)
このテンプレートの作者様、使用させて頂きました。
有難う、御座います。
今回は、2回目の記事ですが、私と“未知の存在”と関わりについて書きます。
“未知の存在”と私が呼んでいる理由は、どこから来るのか、何をしているのか分からず、“未知の存在”と呼んでいます。
広く、呼ばれている呼び方では、宇宙人、エイリアン、地球外生命体などと呼ばれています。
シリウス、プレアデス星団等から来ていると、巷間、言われています。
しかし、私には、体験の中からは、どこの誰かは、知らないけれど、だれもがみ~んな知っていると考えるしかありません。
最初の記事に書きましたが、昭和三十年代の半ばごろだと思います。
家の近くの元運送会社だと記憶しています。
跡地に夏草が生い茂る季節の頃、保育園から帰り、一人で遊びに出かけました。
いつも遊んでいる空き地です。
坊主頭に半そでシャツと半ズボン、サンダル履きの恰好で、草むらをかき分けながらブラブラ歩いていました。
草を見ながら歩いていると、ひょいっと目に、自分と同じぐらいの体格の子供?の様な物が、空き地の周りを囲んでいる有刺鉄線の柵の向こう側に立っているというのか、地面の上に浮かんでいるというのか、判別はつきませんが、こちらに正対して、私を見ている様な感じで居ました。
その当時、怖いとはまったく思いませんでした。
その内、それが、私の方へ、有刺鉄線を通り抜けて、音も無く近付いて来ました。
近付いてくる感じは、正対したまま、地面の上を滑る様にちかづいてきました。
歩いて近付いてきたという感じは、有りません。
そこから先の記憶は、曖昧なのですが、私の目の前で消えたのか、私の中へ入って来たのか、よくわからないのです。
半世紀以上前の事をよく覚えているなと、読者の方は、考えていると思います。
そのあと、私も同じ様に、有刺鉄線を通り抜けるのだと思い真似をして、シャツを有刺鉄線に引っかけてしまい、シャツを破いて、母親に怒られたのを鮮明に覚えています。
その当時は、まさか、半世紀以上も現在進行形で未知の存在と関わりをもつとは、夢にも想像しませんでした。
時は移り、2013年2月のある朝、出勤の支度をしている最中に、瞬きをした瞬間に、目の中に、生まれて初めて見る物が出てきました。
それは、全体が正方形で、よくコンサート会場などで振られるスティック状のライトに似た物が、集合して、正方形を形づくっています。
その一個一個が、イソギンチャクの触手の様にランダムに、そしてなめらかに動いています。
丸で、ライトが、光を当てている物体に対し、それぞれが独立して動いている感じです。
びっくりして、直ぐに目を開けました。
今のは、何。
まるで何処か別の場所に行き、目の前で、正方形の光の集合体を見ている感じです。
生まれて初めての感覚で、一体何が起きたかわかりませんでした。
TVを見ているのとは違い、圧倒的な臨場感です。
もう一度見ようと、目を閉じましたが、二度と現れませんでした。
それが、冒頭に書いた、未知の存在と経験してきた不思議な出来事を結びつけて考えるきっかけになりました。
いったい、何が私に起きているのだろうか、今までの不思議な体験が気のせいや精神的な物ではなく、実際に起きている事を体験しているのはないかと、考える様になりました。
これから、読者の方には、信じられない様な内容のことを書きますが、ご容赦願います。
今回は、ここまでとします。
有難う、御座います。
今回は、2回目の記事ですが、私と“未知の存在”と関わりについて書きます。
“未知の存在”と私が呼んでいる理由は、どこから来るのか、何をしているのか分からず、“未知の存在”と呼んでいます。
広く、呼ばれている呼び方では、宇宙人、エイリアン、地球外生命体などと呼ばれています。
シリウス、プレアデス星団等から来ていると、巷間、言われています。
しかし、私には、体験の中からは、どこの誰かは、知らないけれど、だれもがみ~んな知っていると考えるしかありません。
最初の記事に書きましたが、昭和三十年代の半ばごろだと思います。
家の近くの元運送会社だと記憶しています。
跡地に夏草が生い茂る季節の頃、保育園から帰り、一人で遊びに出かけました。
いつも遊んでいる空き地です。
坊主頭に半そでシャツと半ズボン、サンダル履きの恰好で、草むらをかき分けながらブラブラ歩いていました。
草を見ながら歩いていると、ひょいっと目に、自分と同じぐらいの体格の子供?の様な物が、空き地の周りを囲んでいる有刺鉄線の柵の向こう側に立っているというのか、地面の上に浮かんでいるというのか、判別はつきませんが、こちらに正対して、私を見ている様な感じで居ました。
その当時、怖いとはまったく思いませんでした。
その内、それが、私の方へ、有刺鉄線を通り抜けて、音も無く近付いて来ました。
近付いてくる感じは、正対したまま、地面の上を滑る様にちかづいてきました。
歩いて近付いてきたという感じは、有りません。
そこから先の記憶は、曖昧なのですが、私の目の前で消えたのか、私の中へ入って来たのか、よくわからないのです。
半世紀以上前の事をよく覚えているなと、読者の方は、考えていると思います。
そのあと、私も同じ様に、有刺鉄線を通り抜けるのだと思い真似をして、シャツを有刺鉄線に引っかけてしまい、シャツを破いて、母親に怒られたのを鮮明に覚えています。
その当時は、まさか、半世紀以上も現在進行形で未知の存在と関わりをもつとは、夢にも想像しませんでした。
時は移り、2013年2月のある朝、出勤の支度をしている最中に、瞬きをした瞬間に、目の中に、生まれて初めて見る物が出てきました。
それは、全体が正方形で、よくコンサート会場などで振られるスティック状のライトに似た物が、集合して、正方形を形づくっています。
その一個一個が、イソギンチャクの触手の様にランダムに、そしてなめらかに動いています。
丸で、ライトが、光を当てている物体に対し、それぞれが独立して動いている感じです。
びっくりして、直ぐに目を開けました。
今のは、何。
まるで何処か別の場所に行き、目の前で、正方形の光の集合体を見ている感じです。
生まれて初めての感覚で、一体何が起きたかわかりませんでした。
TVを見ているのとは違い、圧倒的な臨場感です。
もう一度見ようと、目を閉じましたが、二度と現れませんでした。
それが、冒頭に書いた、未知の存在と経験してきた不思議な出来事を結びつけて考えるきっかけになりました。
いったい、何が私に起きているのだろうか、今までの不思議な体験が気のせいや精神的な物ではなく、実際に起きている事を体験しているのはないかと、考える様になりました。
これから、読者の方には、信じられない様な内容のことを書きますが、ご容赦願います。
今回は、ここまでとします。
初の記事です。
初めての記事を書きます。
タイトルの由来は、之から書くことに証拠を見せられる物がなく、私が経験してきた事を書かせて頂くので、この様なタイトルにしました。
このブログを始めるきっかけは、先天的なのか、保育園に通っている時に遭遇した未知の存在から与えられたのか、判断はつきませんが、その感覚と言うか能力によって得られた地震予知に関して、書いていきます。
それと、半世紀を超えて今も続く、未知の存在と不思議な出来事について、書いていきます。
どれだけの人が見ていただけるか分かりませんが、読んでいただければ幸いです。
最初に、自分の感覚について、書かせて頂きます。
この感覚がでてきたのは、約40年前頃だと思います。当時、体の変調だと思い、病院で色々(MRIや脳波、心電図など)な検査を受けてきました。
いつも、異常なしで、困っていました。
当時、伊豆半島の地震活動がとても活発な時期で、陸上自衛隊の駒門駐屯地に勤務しておりました。
そののち、富士学校のある須走駐屯地に移り、隣接している自衛隊富士地区病院で始めて検査を受けました。
まさか、地震に自分の体が反応しているとは、まったく夢にも思いませんでした。
その当時の事を思い返すと東京の実家に帰ってくると、体の変調は全然感じなく、精神的な物かと思っていました。
それから、時は流れ、体の受ける感覚で震源地とマグニチュードが凡そ分かる様になってきました。
次に、2011年の大震災に関してかきます。
2003年頃から、地面の沈み込が体に分かる様になり、地面が小さく落ちていく感じが、段々と短い感覚になり、2011年の地震の起きる4週間前と約1時間前に決定的な地面の変動を感じました。
文章で説明しきれないので、割愛します。
この記事を読んでいただいた方のご要望が有れば、ご理解いただけるか分かりませんが、何とか書きたいと思います。
如何しようかと考えたのですが、当時ブログなどは書いておりませんでしたので、A四判の紙にワードで以下の内容で、印刷した物を総武線のいくつかのターミナルに2月の最終土曜日にソット置いて来ました。
「3月の9~11日の午後2時50分前後にとてつもなく大きな地震が来るので、注意してください。公共交通機関は、恐らく、動かないと思います。」
以上の短い文章の物です。
全部で20部です。
このブログを読まれた方の中に、これを読まれた方はいますでしょうか。
地震の大きさは、予想としては、M8の後半で、確実に公共交通機関は、全て止まると思っていました。
そして、9日に地震が有りましたが、こんな物ではないはづだと考えました。
その時点では、今回は、間違えたのかと思いました。
上記の決定的体感でいったん、地面の沈み込の感じは無くなり。
地震後は、別の感覚が9月位まで、波状的に来ました。
之は、今までの経験から、余震の動きを体が捉えたのだと思います。
それから、2014年4月現在、地面の沈み込は、捉えていません。
この続きは、次回、書かせて頂きます。
タイトルの由来は、之から書くことに証拠を見せられる物がなく、私が経験してきた事を書かせて頂くので、この様なタイトルにしました。
このブログを始めるきっかけは、先天的なのか、保育園に通っている時に遭遇した未知の存在から与えられたのか、判断はつきませんが、その感覚と言うか能力によって得られた地震予知に関して、書いていきます。
それと、半世紀を超えて今も続く、未知の存在と不思議な出来事について、書いていきます。
どれだけの人が見ていただけるか分かりませんが、読んでいただければ幸いです。
最初に、自分の感覚について、書かせて頂きます。
この感覚がでてきたのは、約40年前頃だと思います。当時、体の変調だと思い、病院で色々(MRIや脳波、心電図など)な検査を受けてきました。
いつも、異常なしで、困っていました。
当時、伊豆半島の地震活動がとても活発な時期で、陸上自衛隊の駒門駐屯地に勤務しておりました。
そののち、富士学校のある須走駐屯地に移り、隣接している自衛隊富士地区病院で始めて検査を受けました。
まさか、地震に自分の体が反応しているとは、まったく夢にも思いませんでした。
その当時の事を思い返すと東京の実家に帰ってくると、体の変調は全然感じなく、精神的な物かと思っていました。
それから、時は流れ、体の受ける感覚で震源地とマグニチュードが凡そ分かる様になってきました。
次に、2011年の大震災に関してかきます。
2003年頃から、地面の沈み込が体に分かる様になり、地面が小さく落ちていく感じが、段々と短い感覚になり、2011年の地震の起きる4週間前と約1時間前に決定的な地面の変動を感じました。
文章で説明しきれないので、割愛します。
この記事を読んでいただいた方のご要望が有れば、ご理解いただけるか分かりませんが、何とか書きたいと思います。
如何しようかと考えたのですが、当時ブログなどは書いておりませんでしたので、A四判の紙にワードで以下の内容で、印刷した物を総武線のいくつかのターミナルに2月の最終土曜日にソット置いて来ました。
「3月の9~11日の午後2時50分前後にとてつもなく大きな地震が来るので、注意してください。公共交通機関は、恐らく、動かないと思います。」
以上の短い文章の物です。
全部で20部です。
このブログを読まれた方の中に、これを読まれた方はいますでしょうか。
地震の大きさは、予想としては、M8の後半で、確実に公共交通機関は、全て止まると思っていました。
そして、9日に地震が有りましたが、こんな物ではないはづだと考えました。
その時点では、今回は、間違えたのかと思いました。
上記の決定的体感でいったん、地面の沈み込の感じは無くなり。
地震後は、別の感覚が9月位まで、波状的に来ました。
之は、今までの経験から、余震の動きを体が捉えたのだと思います。
それから、2014年4月現在、地面の沈み込は、捉えていません。
この続きは、次回、書かせて頂きます。
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